竜の小太郎 第一話 改訂版
第一章
昔、昔、そんなに昔じゃないけれど、あるところに中っくらいの町がありました。その町の周りには草がぼうぼう生えていて、後ろにはそれを包むかのように長いすすきの海がゆらゆらと揺れています。そのはるか向こうには優しい目をした大きな父親の山々が広がっています。この光景といったらなんとすばらしいことでしょう。それはまるで一枚の絵が飾ってあるかのようでした。それを眺めると僕の気持ちは晴れ晴れとするのです。その時ばかりは、時間が止まり、私に、草花が気持ちよさそうに語りかけてきます。「ゆらゆら、ざわ、ざわ、ぐうる、ぐうる、お前は何を知っているのう?」そう彼らは、僕に向かって話しかけてきます。
そのままぐてん、と野原に身を横たえると「ぐらっ」とにわかに木がしなる音が聞こえてきました。これはあれですねぇ、なんと言いますか、風が強く吹いたとかそういうのでなくて、僕に原因があるわけです。そう、結構、これが僕の大きな悩みなのですよ。実際僕の体といったら、それはもう、とてつもなく大きく、牛五頭分は優にあるのです。そんな僕を人は、なんと酷いことでしょう、竜と呼ぶんですよ。おかげ様でこの名前が毎日頭にギン、ギンと鐘でも打ち鳴らすかのようにいつも響いてきますね。それにあまりに悩んだ僕は、あるとき長い首をむりやり折りたたんで、友達にそのことを耳元でこそこそっと小さな声で相談しました。そしたら彼はなんていったと思いますか?
「なんてことはない。君はそんなに大きいから、そんな小さなことにくよくよするわけないじゃないか。」そんな風に冷たく、あしらわれましたよ。
実際の僕は彼の見解とはまるっきり正反対です。僕はいつも何かに怯えているのです。
僕は外の、がさ、ごそっという風の音にもブルブルと脅え、一人でトイレにも行けないのです。体と心の大きさは比例しないのですよ、実際。僕の場合なんて、特にそうでしょう。体は大きく、心はねずみの心臓です。それが僕の本当の姿なのです。
そんなことがああだ、こうだと続いて、僕はすっかり自信を失くしていました。ちなみにそのとき友達が僕につけたネーミングが小太郎です。そのセンスの悪いネーミングの由来を訊くと、体は人一倍でかいのに、いつもおどおどしているからだそうです。したがって僕は自分を竜と思いたくありません。だってこんなへまやドジばかりしている小物の僕が竜であるはずがありませんもの。
そんな悲しい時に僕はいつも口から「ぼうっ」と火を吐き、気を紛らわせます。他人から言わせれば、それも、また、結構うるさいものなのですよ。僕は小さな子供が風船を膨らますように、口を細くして、ぱっと息を吐き出します。その時に「ひゅー、どろどろ、どっかん」とまるで小さな花火が爆発するかのような音が、流れるような空気にのって響きわたります。これがわれわれ流、お得意の火の玉というやつです。最終的にはその音を聞きつけ、おまわりさんが「何だ、何だ」とやってきて、「またお前か」といって、いつも通りこまごまと一時間ぐらい説教をして、帰っていくのです。そしてその後私はきまってしょんぼりと下の草を、体の横の小さな手でくりくりといじりながら、空を仰ぐのです。「ああ、何で神様は僕をこんな風にお創りになったのですか?」と、僕は大きな目に涙を浮かべながら、一人空のお星様に向かって話しかけます。後は決まって野原に「ざざあっ」と風がうなり、その風に身をまかせうっとりと目を閉じると気持ちが安らぐのです。
そんなある時、この町に一人の司教様がやってきました。洋服は簡素でそっけなく、顔は凛々しくたくましい。僕が彼を見て、抱いた第一印象はそんな感じでした。
そして司教様は今日の夕方五時に神様についてお話をすると告げました。僕はその大きな体をどっすん、どっしんと揺らしながら、掲示板に向かって駆けていき、黙ってじいっとその文章を読みました。それにはこう書いてありました。
「ああ、迷える子羊達よ、ここに集いたまえ。あなたの迷える御心を神の祝福によってお救いできることをお約束します。神のお告げによってあなた方は導かれるでしょう。」
僕が迷っていたからでしょうか、ともかくそのお告げとやらを一刻も早く聞きたい気持ちに誘われました。それを見てから僕は好奇心で胸がドキドキして、いてもたっても居られませんでした。しかしこんなときの時間はなんて残酷なのでしょう。気持ちがはやれば、はやるほど時計はゆっくり進むんですもん。こんな悪意のある時計をちらちら横目で見ながら、僕はウチの隅でじっとそのときの風景を想像して時間をつぶしていました。時々「ううん、ううん、うにしゃっぱ。」と一人うなって、それでもまだ時間が来ないので、お決まりの日課を少しやることにしました。その日課とは、ずばり空を飛ぶ練習です。空が飛べない僕に町のみんながよくこう言うんです。「お前は竜のくせに空も飛べんのか。へ、そんなんだからお前は小太郎なんだよ。」まあなんとひどいお言葉でしょう、竜が絶対に空を飛べなくちゃいけない「竜、空飛べなくちゃだめよ法」でもあると言わんばかりじゃないですか。
そんな周りからの圧力もあって、僕はこの日課を欠かさず、毎日やっていますよ。だけど実際いくら努力しても、一考(いっこう)に空って飛べないものなんですね。体の横にある小さい羽を一生懸命「パタ、ぱた」させて、ちょっと空に舞い上がったかと思うと、次の瞬間には頭から「ずどん」と地面に落ちてしまうのです。少し地面に埋まった頭から目だけをちょっと出して、ひっくり返った鏡の世界を見ると、「ああ、世の中って、反対のことが正しいなあ。」と自分でも訳の分からない言葉を言っていました。
その練習を三回ばかり繰り返して、体中が泥だらけのブラックドラゴン(The black dragon)になった時、やっと三角形の頂点がぺしゃんとした屋根を持つ教会の鐘が、「リーン、リーン、こん、コン、ポップコーン」と鳴り、五時を知らせました。僕は、はやる気持ちを抑えながら、さっさと身支度をしました。青いジーパンを頭にかぶり、黒い上着を下にはいて、僕はだっだ、だっだとその教会めがけて一目散に走り続けます。途中にある工場がもんもんとした煙を吐き出しています。その煙が空を真っ黒に染めている中を僕はわき目もふらず一生懸命走ります。そして何とか時間に間に合ったなあと、ほっと一息ついて自分の体をよぉうく眺めると、まあなんということでしょう。頭にかぶったジーパンは、工場の煙で真っ黒焦げのトーストみたいになっているし、下の上着は一生懸命走りすぎたおかげで、ちょっと右の肩が取れかかっているかかしみたいになっているじゃありませんか。このことを一度見ただけでは信じられなかった僕は、もう一度首を伸ばして「じろっ」と体を見渡し、そしてもう一度「ハァ」と深いため息をついて落ち込みました。さらに周りの着飾った人達が横目でちらちら見ながら、「くす、くす、あれがとんまの小太郎よ」と言っているのを聞いて、その大きな体をさらに一段と小さくして、僕は落ち込み続けるのでした。
「何で僕は、こんなに運がないのだろう。あの時にもうちょっと考えて、こうしておけば、よかったのになあ」と心の中で思い。その後地面に人一倍大きい鼻息を「ふぅ」とかけ、砂ぼこりが「ちら、ちら」と目の前に舞うのを見ながら、さらにまたふさぎ込んでしまいました。
その時です。突然司教様が教会の大きな門から出てきて、「静粛に、静粛に」と大きな声で、みんなに向かって叫びました。今までうるさかった観客が急に一同正立するのに続いて、二十歳ぐらいのブロンドの髪をした青年が、波風のない海のような澄んだ目をして、「かっぽ、かっぽ」と革靴を打ち鳴らしながら外に歩いてゆき、そして司教様の斜め後ろに立ちました。ぼくはこの光景を涙でいっぱいになった目で見ながら、「どうせ、司教様は僕にお声なんか、かけてくれないんだい」と半分拗ねた子供のようにぶつぶつと言いました。
予想通り僕のことを歯牙にもかけないように司教様は、話を始めました。
「ああ、迷える子羊達よ。あなた達が今日この場所に来たのは、神のお導きのおかげなのです。しかし神の言葉を授かった私たちにも肉体があるように、今日だけではここの全ての人達を救うことは出来ません。だが神はまたこうもおっしゃいました。『あなたたち神の使徒は、この地に布教が終わるまで留まりなさい。』そのお言葉によって我々はこの地に今後数ヶ月は滞在するでしょう。よってあなた達は何も悩むことはないのです。我々はこの限りある肉体を持って人々に救済を施し、この町を救済するのですから。」
その演説が終わると、人々は歓喜の声を「わぁ、わぁ」と上げながら、司教様の前に詰め寄りました。そのときも僕は相変わらず、小さな足を折り曲げ、地面に目を向けながら、「しく、しく」と一人か細い声で泣いていました。その間も彼は人々にたんたんと話を説いていました。
「イエス・キリストはこうも言われた。『私たちは生まれながらに罪を持つ。すなわちこれは原罪である。この原罪は人が生きる中において、昇華せねばならぬ物である。そして死後霊世において、我々はその戒脱の恩賞として、日の栄を見るのである。』彼の言うことを要約すればこういうことである。人とは生まれながらに罪を持つ。そしてその人生において善行を行い、神を信仰することによって、我々は死後神によって恩恵を授かるのである。」
話が一段落すると彼は息をすぅっと、吸い、そしてまた力強く話し始めました。
「私は今日この町において、その神の偉大なる恩恵の光の元に、一人の若者を遣わそうと思う。」そう短く言い終わると彼は、ゆっくりと僕のほうに振り返り、そのおおらかな手で僕を指しました。
「彼はこの神の御許においても、深く嘆き悲しんでおられる。そのような者に対してわれわれ神の使徒は施しを与えなければならない。よって、この町で最初の神の使徒に加わるのを、彼とする。」
そう言い終わると、くるりと体の向きを変え、横の階段をこつこつと革靴を打ち鳴らしながら下り始めました。そのときになってやっと僕は自分のことを言われているのだと、はっと気付きました。そして僕はまだ涙で真っ赤にはれた目を、きょろ、きょろ、とさせながら、予想外の事態に驚いています。やっと今の状況が分かると、僕は子供のように「わぁい、わぁい、神様は僕のことを見てくれていたんだ。うれしいなあ、本当にうれしいなあ」と飛び跳ねながら、「どっすん、どっしん、どっしんこ」と大きな体で宙に舞っていました。
その演舞が一段落終わると、穏やかな瞳をたずさえた司教様が僕の手を軽く握り締め、教会のその大きな門に向かって、僕を導いてくれました。僕は導かれるまま、歩を進めます。そんな心地よい気分の中、僕は笑顔でした。けれどその途中で、僕は少し嫌な光景を見ました。それは周りの人達のこんな声が始まりでした。
「何であんな奴が選ばれるんだよ。あんな奴より困っている人なんてここに沢山いるじゃないか。俺だってそうだ。あんな体がでかくて、のん気そうな野郎に何の悩みがあるって言うんだよ。こんな奴を選ぶ司教様じゃどうせたいしたことないね。結局こんな小さな村に来る司教なんてのは、だめな奴が多いんだよ。あぁあ、こんな奴らに期待した俺が馬鹿だったんだな。」
それを聞いた時に、僕は生まれて初めて怒りを覚えました。しかも、それを、彼らは仲間内で、こそこそと司教様に聞かれないように言っているのです。それがもう、なんと言うか、僕には彼らがとても卑しい人間としか見えないのです。だってこの人達は、人の悪口を隅で言い散らして、その後はひょうひょうとしているのですよ。こんな彼らには祝福より罰を与えた方がいいのじゃなんかと僕は思いましたよ。特に僕が嫌だったのが、彼らが司教様の悪口を言ったことなのですよ。だってそうでしょ、彼らの眼差しを見れば、そんないい加減な気持ちで、ここに来ていないことぐらいすぐ判るもんでしょ。そんなことすら判らない人達に司教様の悪口を言われたのが、僕にはすごく悔しかったのです。
そして少し冷静になると、今まで抱いたことのないような気持ちが僕の中に充満している事に気付きました。それが少し表情にでも出たのでしょうか、僕が、ジュクジュクしているその様子を察して、司教様は歩きながら耳元でこうささやいてくれました。
「私の見る限り、あなたは少し気が立っておられますね。」
僕はその質問に対して黙ってうなずきました。
「では、その理由を私にお聴かせ願えませんか? もちろんこんな喧騒とした場所ではなく、教会の中ですが、よろしいでしょうか?」
僕はその質問に対しても前と同じように少しうなずいて答えました。このときもやはり心の中で何かが渦巻いて、それはもう僕に笑顔を作らせようとはしませんでした。
僕は教会の扉に向かってとぼとぼ歩いていく途中でも、そのことについて考えていました。
「なんか今日の僕は変だなあ。いつもならみんなに言われることに対して、少し笑顔でも作りながら、がんばってその場を切り抜けるのになあ。やっぱりその後はいつも通りにうじうじするだけなのになあ。でも本当に今日の僕は変だよ。まあ、しかしなんだなあ、今は司教様と一緒だし、このことは頭の隅にでも置いておくことにしよう。それは家に帰ってから一人で考えることにしよう。」
そう僕は決心しました。それがちょうど終わったころ僕はもう教会の中に立っていました。僕の目の前には大きなガラスががっしりとした窓枠にびちっとはめ込んであります。この表現はちょっとおかしいかもしれない、けれどもそれは本当に僕の目の前に突然現れ、大きな衣装を着、立っていたのです。そのガラスには、赤、青、紫、黄色などの衣装が散りばめられていました。不意に僕はそのガラスを通って、目の前に降りた光に釘付けになりました。その光はまるで、何か別次元の者のようでした。光の反射した床をぼぅっと眺めていると、背後に立っていた司教様が「ぽん、ぽん」と僕の肩をたたき、話しかけてきました。
「何か気になる物でも、おありでしょうか?」
この質問に対して、僕はすぐさまこう答えました。
「この床の光はどこから来るのですか?」
そうすると、司教様はくすっと笑い、ありきたりな答えを返してきました。
「それは、あのステンドガラスを通って降りてくるのですよ。もっとも、正確に言えばその元となる光は太陽から発せられ、地球の大気圏を通り、そしてこのガラスを通ってこの場所に来たのです。そこには当然物理的現象としての光の屈折率も関係してきますね。例えば、光が大気圏を通った後に雲にぶつかるとします。もちろんその雲には、いっぱい光を反射する、水分が含まれているわけであります。その水分に光が反射すると、それは拡散、もしくは吸収されるのであります。そのような効果があって、初めて我々の目に雲はあんな風に見えるわけです。けれどもこれは当を得た答えではないでしょう。そもそもこの地球には、重力があります。光の性質上、光とは重力に引き寄せられるのです。それはアルバート・アインシュタインによって述べられた『特殊相対性理論』の中に書かれているわけです。このことはまず間違いないでしょう。しかし私としては…。」
この意味の解らない答えに、僕は少しいらいらしていました。そしてさらにその答えの内容がどうも僕の質問の答えじゃないようなのです。それを確信して、僕は小さな羽根を少し立てながら、こう彼の話を遮りました。
「僕が訊いているのは、そういうことじゃないんですよ。ひとつ言うと、僕が訊きたいのは物理の講義でもなく、数学の講義でもないんですよ。僕が知りたいのは、このきれいな光が僕に訴えてくるその言葉なのです。その言葉は、うぅん、なんと言うか、説明するのは難しいけど、何かこう、直接僕の脳みそを揺さぶるんです。それは眼で見たこのきれいな光のせいでしょう。おそらくは。その根拠として挙げられる物、それは至極簡単です。なんてたって僕はこんな経験、この光を見るまで一度もしたことがありませんからね。だから僕はこの光がとても不思議でたまらないのです。」
最初この話を少し笑いながら聞いていた司教様の顔は、ちょっと僕が眼を離した隙にすっかり真剣な顔つきになっていました。その顔を見た時に僕は、「少し悪いことでも言ったかなあ」と心配になりました。すると、彼は怖いぐらいに目をぎらつかせて僕に迫ってきました。その行動に少し寒気を感じながらも僕は、その場に「ずでん」と居座っています。僕の眼の前に立った彼は、僕の小さな羽根を少し持ち上げながら、それをゆらゆらさせています。その光景を見て、「司教様もいたずら好きなのかな?」と僕が思った、その時です、司教様は突然大きな声でこう叫びました。
「おお、なんということだ。今日ここで、この類稀なる人物と私が会えたことを、神よ、あなたに感謝します。神よ、貴方のご好意により、我らはこの場所で廻りあえたのです。この小さくも、広い世界でこのような人物に会えるというのは、何という奇跡でしょうか。神よ、おそらくこれは偶然ではないのでしょう? これは貴方が準備していた劇の台本どおりなのでしょうか? おお、神よ! どうかこの哀れな子羊の嘆きに答えたまえ。」
その言葉を聞いた僕は、今までにないぐらい驚きましたよ。そりゃもう、僕は司教様がどうかしてしまったのかと思うぐらいに驚きました。しかし、次の司教様の言葉を聴き終わったときには驚きというより、むしろ霧がかかっていた道が晴れわたる時のような感覚が僕を襲いました。それは「まさしく何かを、ちゃんと知る」という感覚でした。
「私が初めてあなたを観たとき、こう思いました。この人の眼には深い悲しみが宿っていると。その涙には、大きな悲しみが宿り、その瞳には深い葛藤が兆(きざ)す。しかしこのことについて一般の方々はさほど関心を示さなかったようです。反対にそのような人達はあなたのような方を嘲笑し、非難されていました。これは彼らが虚栄心を満足させるために行なう忌むべき行為の一例でしかありません。されど、私はこのことに大きな意義があることを知っていました。もちろんそれは、あなたが教会にいらっしゃった時からの行動についてですが、この経緯について少し説明しておいたほうが良いでしょう。あなたの私に対する誤解を解くためにも。」
僕は、彼の提案に黙ってうなずき、了解の合図を出しました。その後、彼はひとつ大きな深呼吸をして、いっそう目に力をためるとこう話を続けました。
「ひとつ話を続ける前に断っておきたいことがあります。それが、何かというと、これからの話の中であなたに意見を求める場面が出てくるでしょう。その時、あなたにできる限りでいいのですが、その質問についての答えを真摯に述べてもらいたいということです。これについて、ご理解いただけるでしょうか?」
僕はすぐさま「もちろん、僕に出来る範囲でお答えしましょう」とあっけらかんと言いました。
「さあ、あなたの了解も頂けたことですし、早速話を続けることにしましょう。まず、不躾で悪いのですが、私があなたに対して持つひとつの疑問にお答えしていただきたいと思います。これは私の思い違いかもしれませんが、あなたは私が手を差し伸べるまでの間、非常に私を嫌がっておられませんでしたか? もしくは、怖がって?」
この非常に丁寧でへりくだった態度に、僕は少し違和感を覚えました。なぜかといえば、その司教様の話しぶりと言ったら前と打って変わって、とても冷静だったからです。どうも僕はその彼の態度にある意図が隠されていると、感じたようです。その神経質なチャイルドドラゴンの僕は、至って冷静な振りをして、
「あなたの言うことと僕の感じたことは少し違います。ここでもし普通の方ならば、『あなた様の言うとおりです。私は不遜にもそのようなことを思っておりました。どうやらそれは私の勝手な独りよがりだったようです。そんな行為にどうか寛大なお慈悲をお願いします! 私が思っていたことは悪意の為した業でした。そのような悪魔のささやきに耳を傾けた私の心をどうか叱責してください! 司教様』と、こんな風に自分の体裁ばかりを気にした言葉をあなたに返すことでしょう。しかし、僕はこのような言葉を返すつもりは、毛頭ございません。そして、ひとつ僕がこの質問に答える前に進言させて頂きたいことがございます。どうやら、あなたが前に言われた“非常に”という言葉は何か重大な意味を持っているようです。なぜならあなたがその言葉を口から発した時、前の文のリズムとは違う音程が奏でられたからです。そのような口語法は、昔この町にやって来た政治家が演説でよく用いていました。その政治家は、その弁論法によって街の人々に大きな賛同の渦を巻き起こしました。しかし私が用いたこの賛同という言葉は、おそらく正しくないでしょう。真実を正直に言うならば、『彼は人々の感情を揺さぶり、そして感情的に彼らを従属させた』というべきだったしょう。まあ、このことについてあまり長々と話をしてもしょうがないので、ここでこの話はやめにしましょう。あえて一つ結論を言うとすれば、あなたの意図とは、この会話の中で私を感情論に巻き込むつもりだったのではないでしょうか?」と、僕は自分でも思いもしなかったことをすらすらと述べました。何かの神様が僕の体に乗り移ったみたいに僕は話しました。この原因はいまだ分からずじまい。一体なんだったのでしょうか? たぶんそこには神経質な僕が色々なことについて考えたことも関係しているのでしょう。そんなことより今は司教様との話が大事、大事。
話を聞き終わった司教様は、突然大きな声で笑いながら、英語で、“You’re right, you’re right.”(その通り、あんたの言うとおり)と叫びました。僕は突然のその挙動に少しびくっとしましたが、すぐに羽を「ぴシャッ」とさせ、司教様の方に耳を傾けました。
「本当にあなたの言うとおりだよ。すまないねぇ、少しあなたを試させてもらったよ。どうやらあなたはその試金石に易々と耐え忍んだみたいだねぇ。ここまでの愚行をどうか許してくれたまえ。私も人のすべてを一目で判断できるわけじゃないのでねぇ。」
彼のその態度に僕は急に親しみを覚えました。しかしまたそれとは反対のことが僕の頭の中で駆け巡っていました。それは今の僕の能力ではこれ以上の会話には、ついていけそうにもないということです。この現実を知った僕は、愕然とした気持ちになり、昔の様にまたしょぼくれました。その様子を察してか、司教様は先ほどの話の結論を簡潔に述べてくれました。
「この一連の行動はあなたが最初に投げかけた質問の答えでもあるのだよ。その答えとはあなたが持つ感受性と、そこから生まれてきた優れた洞察力、すなわち直観なのですよ。あなたのその感じやすい頭脳は、大きな不幸を引き寄せる。またそれを打ち消して余りある、大きな能力をあなたに授けたのです。その能力、それがあなたの優れた直観なのです。これは芸術、学問、スポーツ、あらゆることに必要な能力なのです。そう、あなたがあの床の光に感じた芸術、これもその審美眼がなければ出来ない所業でしょう。その双肩に圧し掛かる重圧にあなたはよく耐えてきた。その結果がこれです。人とは大きな苦難に出会わなければ成長しない。これは肉体的より、精神的苦難のほうが望ましいのであります。
本来人とは、肉体的苦労にはある程度耐えられても、精神的苦悩にはそんなに耐えられるものではないのです。その精神的苦悩という天涯孤独の境地に立たされたあなたは、また人々にこうも言われたことでしょう、『哀れな人』と。しかしその哀れな人でなければ、この位置まで登りつめることは到底、叶わないわけです。その苦難に耐え忍んでここまでやってきたあなたに、私は賞賛を贈りたいと思います。」
そう言い終わると、彼は自分の髭をちょいちょいさせながら、満足そうに立っていました。そして僕はといえば、その賞賛を聞いて初めて人から認められ、半分うれしいと思いました。けれどもその反面、自分の力のなさをただ黙りこくって、一人しみじみと実感していた僕もいたのです。
司教様が髭をいじり過ぎて、その髭が昔の巻寿司みたいになった時、彼は、「ぱん、ぱん」と手を二回鳴らしました。すると司教様の宣誓(せんせい)の時、後ろについていた青年が、ずかずかと僕の後ろから歩いてきました。初めて彼を見た時、僕は、「ああ、なんて、きれいな青年なんだろうな」と思いました。そしてもう一度、今度は近くでまじまじと彼を見ると、僕は一段とその優雅さに引き込まれていくようでした。その青年は僕の顔を少し見て、司教様に向かって静かな調子でこう述べました。
「何の用ですか? 司教様。」
そしたら司教様は、少しむっとして、「君、君、ちょっと無礼なんじゃないか? このお客人の前でなんと言う口の利き方をしているのだい。それに君は私の部下だろう。だったらもう少し私に向かっても、礼儀正しくしたらどうかね?」と、返答しました。僕はそんなに彼は失礼じゃないなあと、思いながら、二人のやり取りを黙ってみていました。その言葉に彼はまったく動じずに、話を続けます。
「ひとつ、あなたの述べたことには間違いがあります。それは、私はあなたの部下ではなく、あなたの身辺警護員だということです。そして私の口が悪いとか、悪くないというのは小さな問題ではありませんか?司教様。貴方ほどの方がそんなつまらないことを口にするなんて、私は思いもしませんでしたよ。もっとも、そんなことを言うあなたを見たのは、今日が初めてですけどね。」
そんなこんなの話し合いで、「司教様はもっと怒るんじゃないかなあ」と僕は思いました。しかし、自分の予想通りに世の中が動かないように、その話の後司教様の顔はだんだん、ニコニコしてきました。「こんなわけの解らないやり取りは始めて見たなあ。」と、僕が面白がってその光景を観ていると、僕の方にくるっと、向きを変えた司教様が突然、僕に耳打ちをしてきました。
「そういえば、訊き忘れていたのですが、教会に入る前にあなたが気になさっていたのは何だったのでしょうか? そしてここでひとつ、私からあなたに提案があります。今、あなたの目の前に立っている彼は非常に優秀な人物です。そしてまだ若い人同士で、この問題について話し合ったほうが私には良いように思えるのです。これをするか、しないかはあなたの裁量にお任せするしかありませんが、どうです? まあ、とにかくあなたが今、分かっている範囲で構わないので、その原因を少し彼に話してみたらどうですか?」
この提案に僕はあっさりと首を縦に振ってしまった。後から振り返ってよく解ったのですが、僕はまだ闇の中にいたのです。その闇の中で僕は行く当てもなく、光もなく、さ迷っている。その闇に慣れすぎた僕は今自分の触れているものすら分からず、手探りで、とことこ、とろとろ、同じところ廻っていたのだ。そんな暗闇の中で僕は彼という鬼火に触れようとしている。こんなことに何の意味があったかは、そのときは解らなかった。
けれども僕はこの時以上に悩まなかったことはない。そしてその後、家に帰って寝る前に僕の大きな布団の中で思いを廻らしていると、自分の前に長い階段が聳え立っているのがはっきりと分かった。これはまったく自分を省みないおかげで、舐めた辛酸である。考えない人々が、もし現実に大きな山々が立ちはだかっても、それを認識できないように、人とは現実にばかりに生きているわけではないのである。現実に生きているという人ほど現実を知らない人はいない。空想の世界に生きている人ほど現実を嫌うものはいない。その空想と現実をうまく調和させた人が本当に現実を知っているのだ。
さして、僕は、たいした意味も持ち合わせず軽い気持ちで、この話し合いを行なおうとしている。この阿呆な僕は、無邪気な振りをして彼に自己紹介をした。僕はこのときまだ礼儀が大切だと思っていた。そして期待通りのありきたりな展開は起こらず、結局僕は閉口することとなるのであった。
「初めまして、僕は竜の小太郎といいます。この“竜の”とはもちろん僕ら竜族の肩書きです。ですが小太郎という名前、実を言うとこれは本当の名前ではないのです。本当の僕の名前は、僕自身判りません。なぜなら僕は捨てドラゴンでしたから、親の顔すら知らないのです。そして当然僕の名前もないということです。けれど、これは僕にとってはひとつの悩みの種なのです。まあ、こんなくだらない話を初めてお会いした方に長々と聞かせるのは失礼だと思いますので、ここで一旦打ち切りたいと思います。さて、そろそろ僕もあなたのことを多少なりとも知りたいので、早速あなたの名前をお訊かせ願えませんか?」
そう僕が挨拶を終えると彼は急に体をゆらりとさせ、獲物を狙う狼のような鋭い眼光で僕をにらみつけました。僕はその眼に、果てしない空虚を感じました。それは僕が広い草原に独りぼっちにされた時に感じた印象と似ていた。そして彼はその鋭い威圧的な目つきで僕を見ながら、淡々とした調子で自己紹介を始めました。
「私の名前はトーレンと申します。この私の名前は本名ではありません。私の友人たちが私を呼ぶときに使う愛称です。しかしこの名前に深い意味があるかと質問されれば、“それはない”と私は答えます。なぜなら人の名前などというのはたいした重要な意味などない飾りのような物だからです。そんなことにいちいち文句をたれてもことは進みませんので、私のことは普通にトーレンと呼んでください。さて、お会いして間もないのに大変失礼だと思いますが、ひとつあなたに私の疑問をぶつけてみたいと思います。なぜ、あなたはこんな飾りに悩むのですか? 大抵の人はこういう問題を自分の目の前に出されると、閉口するのですが、あなたに限ってそういうことはないと思います。ですから、私は、安心しきっております。むしろあなたが私より優れているのではないかと思い、はっきり言って少し怖いぐらいです。こんな私にも判りやすいようにそのことを説明していただけないでしょうか? 無論、あなたにできる範囲で一向に構いませんが。」
彼がこの言葉を言い終えたとき、少し笑っていました。この笑みを見たとき僕は身震いがしました。その身震いを抑えようと、色々考えを廻らしていると、不意に僕は、「彼の態度が気に入らないなあ」と思えてきました。よくよく考えると、さっきの笑みは人を誑(たぶら)かしていると僕には思えたのです。そうです、彼の挑発的な態度に僕は少し怒っていたのです。その証拠に僕が意識していないにも関わらず、背中の羽が跳ね上がっていました。これは僕が怒ったときによくやることです。そしていらいらしながら僕は間髪入れず、彼に向かってこう言い放ちました。
「君は、僕にそんなことを言っておいて、何のつもりなのですか? 僕に何か文句でもあるのですか? だったら、早く言って下さいよ。そもそも、あなたのその意見が僕に当てはまらないのは、当たり前じゃないですか。そんなものはないと、さすがのあなたもおっしゃらないことでしょう。それはみんなが知っている常識の中にもこうありますよ“人が(僕は竜ですが)一人ひとり違うように価値観の違いが、それだけある”と、こんなこともお解りにならないあなたではないでしょう。だから僕の価値観から言うと、この問題は、僕にとっては深刻なのです。しかし、なんですなあ、貴方ほどの人がこのようなことすら、お知りにならないとは思いもしませんでしたが。」
この時、僕は、胸を張りながら意気揚々として、「この討論には勝ったぞ」と思い上がっていました。そして僕は我を忘れ、彼が、先ほど僕にやった様に、彼の方を睨みつけました。しかし、僕は、内心少しまだ彼を怖がっていたのです。だから、睨みつけることしかできなかったのです。
「ほう、見る限りではあなたは少し気が立っていらっしゃる。そんな状態で意見を言っても、まったく説得力はありませんよ。まあ、しかし私がこんな前口上を述べても、意味はありませんな。なぜなら私はあなたを怒らすつもりで先ほどの意見を述べたのですから。さて…。」
僕は、彼の話を聴いている途中でもっとムカッときて、彼にこういってやりました。しかし、このことは間違っていました。今、思うと、この場、限りの言い訳は、後に大きな波となって僕の精神に押し寄せてくるのです。今の苦しみに比べれば、僕はこの感情を抑えるべきだったでしょう。
「君は僕に鎌をかけたのかい? へ、そんな面倒くさいことをするぐらいなら、最初からそうといえば良かったじゃないか。始めてあったとき、僕は君のことを胡散臭い奴だとは思わなかったよ。けれども君は違った。結局僕のことを試していたんだからね。君のような阿呆野朗とは二度と話はしたくないよ。」
僕がこの言葉を言い終えると、トーレンが隣の司教様の耳元で静かに会話をしているのが目に入りました。彼らが何を相談しているのか僕にはまったく見当もつきません。しかしこれだけは事実です。彼らは僕の話を聞いていないのです。僕の話を聴こうともしない輩を見て、僕の魂にこんこんと静かな怒りのしずくが溜まっていくのでした。溜まりすぎたしずくがその器から溢れそうになろうという時にも、僕は何とかそれを堪えました。下を向きながらそのことをぶつぶつ考えていました。そして下を向いていた目をふっと上にあげると、僕の前に司教様とトーレンが立っているではないですか。ですが、僕はこのことに喜ぶどころか、深い疑いの目を彼らに投げ返すのでした。けれども今度は僕の目とは反対に彼らの眼差しと言ったら、とても穏やかな感じです。そしてまた司教様が僕の横に立ち、肩をぽんぽんと叩いてこう問いかけてきました。
「教会に入る前からあなたが感じていたあの感情、その原因がお解りになりましたか?」
急にそんな前の話を持ち出されて僕は少しびっくりしました。
「今の話と前の話は関係ないじゃないですか。僕は今の彼の態度に怒っているのです。そんな前の話を持ち出して、この僕を誤魔化そうとしてもそうはいきませんよ。僕が考えていることは今のことなのです。前のことについてはまた後でじっくりコーヒーでも飲みながらお話しすることにしましょう。ね、司教様。」
司教様は僕の話を聞き終わった後、少しあたりを見回し、ふと何かに気付いたように天井を仰いでいました。続いて彼は天井の上のほうに向かって、顔をまっすぐにし、そして彼は両手を筒みたいな形にして、それを口元に持っていき、その甲高い声で突然天井に向かって何か叫び始めました。それは確かに大きな音でした。しかしそれはでかい音というだけで言葉が聞き取れないものでした。あえていうならばそれはとても感情的な音だったようです。それはとても高いトーンの声が多く、その陰の小さな音はかき消され、まったくそれが聞き取れないほどでした。その嫌なテノールに僕が耳をふさいでいると、今度はトーレンが僕の肩を親しげにぽんぽんとたたきました。そして彼は耳にかかっている僕の片方の手をはずし、耳元でそっとささやきます。
「これはさっき君が私に向かってした行為なのだよ。こんなことを君は私に向かってしていたのだよ。本人は気付かないだろうけどさ、されている人からしたらたまったものじゃないだろ。これがすなわち怒りという感情なのだよ。こういう感情に縛り付けられた人は周りが見えなくなってしまう。そして終いには、何でもかんでもやりたいほうだいするようになる。こんな不条理なことはないさ。理性やら悟性やら、人々がよく口にするこういう言葉が多く使われる時代にこんなものがあるのは不合理だとは思わない? けれどもそれは今ここにあるのだよ。いくら科学が発達しようと、結局人間がいる限りそれはあり続けるのだよ。」
僕ははっとしました。今まで気付かずに自分がやっていた行為を、恥ずかしいと思いました。
「僕は自分が見えていなかった。」
僕は心の中で自分を叱責しました。
ようやく僕は彼の言葉のおかげで冷静さを取り戻すことが出来たのです。やっぱり僕は阿呆なドラゴンでした。だって感情的になって周りが見えずに話をしていた僕がとても馬鹿だと思えたからです。よくよく考えれば、怒るほどの理由はなかったのです。どうやら僕は教会に入る前から感じていた気持ちを引きずって、それを彼に八つ当たり的に言ったようです。その原因が解った僕はすっかり怒る気持ちが消えうせ、反対に何か朗らかな気持ちが僕の中を満たしていきました。しかし、それでも僕の心の中にはひとつの疑問が残っていました。それは最初に怒りを感じたときに僕は、彼らが僕に向かってよくする誹謗、中傷を受けたわけでないのに怒りを覚えたということです。確かに僕は彼らが司教様に向かってした非難を聴いて怒りを覚えたのです。それが僕の中にわだかまりとして残っているのです。「よし、そのことも司教様に訊いてみよう」と思い、僕は大きな口を目一杯開けました。
「あのう、司教様。もうひとつ質問があるのですが、聴いてもらえるでしょうか?」
それに司教様は少し疲れた表情を見せながら、静かにうなずきました。
「僕がここに来る前に感じた怒りと、その後に感じた怒りは種類がどうも違うようなのです。ですから、もし、よろしければ、そのことについて少しお話できないでしょうか?」
彼はその問いに少し困った顔をしていました。ぼんやりと宙を見、頬の横に片手を添えながら考えこんでいます。そしてすこし間をおいてから、彼は僕にひとつの提案を出してきました。
「私の知り合いがそのような話には詳しいので、そちらに明日ぐらいに行かれたらどうですか? そのときにはもちろんこのトーレンをお供させますが。なにぶん今日はもう遅いですし、私としても今日の話し合いは一旦打ち切りにしたいのです。これはご了解いただけますか?」
司教様は、ずっと疲れた声でお話をされていました。この声を聞いていて僕は、ずいぶん話し込んだなあと思いました。どれぐらい時間が経ったのかな、と知りたくなり、振り返って後ろの時計を見ました。すると、おやまあ、ずいぶん時間が経っているじゃあないですか。今、時計の針はちょうどてっぺんから左に少しずれているぐらいでしたから、ただいまの時刻はだいたい十二時です。こんな遅くまで話し込んで悪いと思った僕は、すぐさま挨拶も適当に荷物をかき集め、教会から走り出ました。そしてその走りつづけている僕の後ろで教会の門の前に立っているトーレンが叫んでいました。
「明日十時にお前の家に行くからなあ。それだけは忘れるなあ。」
僕はそれに答えるように小さい羽を、二、三度、パタパタさせてから、家路に急ぎました。そのときに僕はこんなことを思い出そうとしていました。「彼に僕の家の住所教えたかなあ」と。
帰り道に町の繁華街に久しぶりに寄ってみることにしました。こんなでかい図体なのでにぎわっている繁華街の他の人々を押しのけ、押しのけ、やっとのことなじみのお店に到着しました。お店の名前はアードラー。なんでもお店の人に訊くとドイツ語で鷹という意味らしいのです。僕は恐る恐る身を屈めながら、お店の中に入っていきました。このお店は比較的広く僕でも入れるぐらいでした。そこでゆっくりと食事を摂っていると「おい! 小太郎! こんな夜中に食うとまた太るぞ」と酔っ払いが絡んできました。けれども、僕は「そんなこと他人にどうこう言われる筋合いないやい。」と一人で黙りこくって思っていました。そしたら店の主人が「今日はずいぶん気分が良さそうだね。」と話しかけてきました。「今日はね。司教様とお話をしたんです。」「へぇ、先日赴任してきたあの司教様とかい?」「そうです。」僕はでかいラーメンを食べながら述べました。「それで噂になっていたのか。君のことが。」「どんな噂ですか?」「そりゃ、直接、今度町の人に訊いてみると言いよ。今日はもう店じまいだからね。」そういうと暖簾がいそいそと店内に運び込まれました。僕は料金を払って満腹になったところでお店を出て、まっすぐ家に向かいました。「一体、町の人は何を噂していたんだろう?」と思いつつも睡魔が襲い掛かってきたので急いで帰路に着きました。
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